「月がとっても明るいから」write by.くらはし

綺麗な月を見たいと思った。
魔法で瞬くよりも短い時間で別世界に移動する。
無数のカケラから選んだのは、目立ったものは何もない、野原が見渡す限り広がる世界だった。
余計な明りや高い建物がない分、月の美しさが引き立っている。
猫の姿になって、その場に丸くなる。悪くない気分だ。

気配が近づいてきたのでそちらを見ると、ひとりの少女がいた。
澄んだ綺麗な目をしている。こんな目を見たのは久しぶりだとじっと見つめていたら、少女のほうから声を掛けてきた。
「黒猫さん、どうしたの?」
その問いに、にゃあと一鳴きして返す。
少女は不思議そうにこちらを見ていたが、やがてまた歩き出す。
私は立ち上がって伸びをすると少女の後について歩きだした。気まぐれにそうしようと思ったのだ。少女はこちらを振り返るとクスっと笑った。
風で草木のそよぐ音が耳に心地良い。
ぬるいお湯に全身が浸かっているようだ。
5分ほど歩くと川辺についた。小さい手漕ぎボートが用意してある。
「さあ、乗ろう」

ボートに座った少女の膝の上から世界を辺りの様子を見渡す。
見たこともないような大輪の花が咲いていた。
水は底が見通せるほど澄んでいた。
見える限りでは私達の乗っている以外のボートは浮かんでいなかった。他には誰もいなかった。

しばらくして少女はボートを漕ぐのをやめた。
それまで気付かなかったが、釣竿がボートのすみに置いてあったらしい。竹でできた釣竿だ。
少女はエサをつけずにそのまま投げ込む。
釣り糸を垂れる。少女は何もしゃべらない。このカケラでは言葉はあまり意味をもたないのだろう。
水面をじっと見つめたまま、びくともしなかった。ただじっとしていた。そこに存在するだけだった。余計なことは何もない時間が過ぎていく。ただ過ぎていく。
「そろそろ戻ろうか。」
少女は竿をしまい、櫂をもって漕ぎはじめる。水音が弾みはじめる。
パチャーン、パチャーン。来た水路を戻っていく。
パチャーン、パチャーン。一定の間隔で音が響く。
やがて出発したところの川辺についた。
ボートを舫いでから、川辺から歩いて少女の家へ向かう。
何もしゃべらない。無言でいることがとても心地よかった。

野原にポツンとたっている木造の小屋、そこが少女の家だった。
人間一人が生活するには適度な広さだった。生活に必要な最低限のものだけが置かれ、すっきりとした印象である。
少女は着替え終えると、私のためにミルクを皿に注いで床に置いた。
ワインではないのが残念なところだが、新鮮なミルクも存外悪くなかった。

少女はナイフで木を削って何かを作っている。何かは出来上がったら分かるだろう。最初に聞いて答えを知ってしまうより、答えが何か想像しながら待っているほうがいい。
ミルクを飲み終えた私は少女の膝の上にぴょんと飛び乗る。

この世界は甘ったるいカケラだった。でも今夜はただ見ていたかった。
「月がとっても明るいから。」
そうつぶやいて、私は少女の膝の上で丸くなって眠りに落ちた。(了)
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